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| 癌の分子病理疫学(Molecular Pathologic Epidemiology, Molecular Epidemiologic Pathology)の面白さ、と癌の予防医学(Preventive Medicine)における革新的役割について |
2010年01月19日
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著者:荻野周史(ハーバード大学) |
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私は病理学、特に分子遺伝病理学(Molecular Genetic Pathology)の専門医として、Brigham and Women's Hospital (BWH)の臨床病理診断部門での業務の一方で、Harvard Medical Schoolの研修プログラムでの教育とDana-Farber Cancer Institute(DFCI)で比較的新しい集学的研究分野(Multidisciplinary)である分子病理疫学(Molecular Pathologic Epidemiology, Molecular Epidemiologic Pathology)の研究に携わっております。
この文では、私が今の研究分野に携わることになった経過、現在の研究内容、それから私が長年の米国での研究生活において学んだことから、みなさんに多少でも参考になるような事項について述べたいと思います。
1.病理学を専攻した理由
病理学(Pathology)は広い意味では、人間の病気のメカニズムを研究する学問です("Patho"は病気を、"…logy"は学問を意味します)。医学教育における立場としては、基礎医学と臨床医学の橋渡しのような役割を求められています。
その広義の病理学の一分野である病理診断学は血液、組織をはじめとする患者からの臨床検体を、広義の病理学の知識と手法を駆使して解析・分析して、人間の組織・病気を診断する学問です。
以上の理由から、広義の病理学と狭義の病理診断学は今日に至るまで字義どおり非常に密接な関係があります。特に癌の医療における病理診断学の役割には大きなものがあります。癌の有無、癌の組織タイプ、進行度の判定、遺伝子変異の同定、治療効果の評価、に病理診断学は欠かすことができません。
私は東京大学での医学生時代の後期に病理診断学の面白さを経験してから病理医になろうと決意しました。そのときは将来アメリカに渡ることになるとは全く予想していませんでした。後に研修先を求めての面接旅行でアメリカの病院に行くまで、海外旅行すらしたことがなかったのです。
2.ボストンで研究することになったきっかけ
医学部卒業後すぐの1993年4月に東京大学病理学第一教室の大学院生となりましたが、まもなくその教室での生活が物足りなく感じるようになりました。その後、運よく沖縄米海軍病院インターンの採用試験に合格したので、1994年4月から大学院を休学してインターンとして働き始めるとともに、並行してアメリカの医師免許試験の勉強を始めました。
無事に9月までに必要な試験に全部合格して、アメリカ全土の病理科レジデンシーに応募しました。全部で70か所くらいの施設に願書を出しました。それまでの業績がほとんどなかったため苦戦しましたが、当時、米国の病理科は人材難で、外国人への門戸が広かったことが幸いしました。初めての海外旅行として、3週間で11か所の病院を面接してまわりました。
結局ピッツバーグのMedical College of Pennsylvania(現Drexel University)付属Allegheny General Hospital(AGH)にマッチして、1995年7月から病理科研修を始めました。マッチしたときの喜びは一生忘れることができません。マッチングとは、全米中の研修プログラムと研修予定者がお互いの希望先、希望者の順位をもとにコンピューターで研修先プログラムを決める制度です。
1995年から97年のAGHでの研修期間において、近年神の手を持つ脳外科医として有名な福島孝徳先生の仕事ぶりに接する機会を得たのは、私のその後に大きな影響をもたらしました。福島先生にはご自宅にもお招きしていただくなど、かわいがっていただきましたが、その後フロリダに栄転されました。当時の私は、彼の存在、ウデ一つでアメリカを渡り歩く姿に大いに感動を覚え、そして勇気づけられました。
1997年から99年までクリーブランドのCase Western Reserve Universityに移り、後期の病理科研修をつづけました。その間、HHMI(Howard Hughes Medical Institute)研究者のDr. Sanford Markowitzのラボで初めて大腸癌の研究に接しました。その後、大腸癌に携わることになったのも何かの縁であったのだと思います。彼とは今でも共同研究を行っています。
1999年にはフィラデルフィアのUniversity of Pennsylvaniaの分子遺伝病理学フェローとなりました。そして、病理学のAmerican Board of Pathology認定専門医の資格を取得しました。臨床分子病理学フェローとして仕事を一年働き、その後はPostdocとして研究を続けました。このときの研究をもとに東京大学の医学系大学院を無事卒業することができました。それに加えて、このときの分子病理学研修をもとに、American Board of Clinical Chemistry認定の分子診断学及びAmerican Board of Pathology認定の分子遺伝病理学の超専門医の資格をとりましたが、どちらも日本人としては初めてのことでした。
Postdocとしての研究生活の傍ら仕事を日米にわたって探しました。そのころはまだ、分子遺伝病理検査が普及していなかったのもあり、難航しました。日本の仕事で気にいるようなものがなかったので、次第に仕事探しは米国中心になりました。米国中探して仕事のInterviewをとりつけたのはわずか3か所だけでした。
最終的に運よく、このボストンに職を得ることができて非常にラッキーでした。2001年からハーバード大学のInstructorとして仕事を始めました。その後、2004年にはAssistant
Professorとして研究室を独立して、2008年にはAssociate Professorとなりました。
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